第3回
岡本あきこ
38歳・コミュニケーター・通訳翻訳家・山口県出身・1996年からドイツ在住
17年前からドイツに在住している岡本あきこさん。ドイツ語習得から始め、大学進学、ドイツ企業入社。今はフリーで通訳、翻訳をする傍ら、自称「コミュニケーター」としてアートやダンス関係のイベントに携わる。独自のキャリアを切り開いた岡本さんの人生、現在住んでいるデュッセルドルフと過去に滞在したウルムでの生活について尋ねた。
―岡本さんはドイツへ来てからボーフムのルール大学で映画・テレビ学を学んでいますね。ドイツへ行こうと思ったきっかけとこの学科を選んだ背景を教えて下さい。
ドイツには21歳の時に、当時お付き合いしていた人の仕事関係で初めて来ました。ルール大学に入学したのはそれから2年後になります。最初はデュッセルドルフの語学学校に1年間通い、その後また1年Studienkolleg(外国人がドイツの大学入学資格を得るための教育機関)に通いました。Studienkollegではドイツ語、社会学、文学と歴史の4科目を学び、最終試験をクリアした後、大学に学籍登録しました。ルール大学を選んだわけは元々ヨーロッパ映画や西洋文学が大好きで、その知識を深められる映画・テレビ学*を専攻できたからです。
―なるほど。学生時代はボーフムに住んでいたのですか?
はい。たくさんアルバイトをしていたので、修士号を取り卒業するまで8年かかってしまいました。
―思い出に残っているアルバイトはありますか?
その頃から通訳のお仕事を数々お受けしてきました。工場内改善システムのコンサルタントの先生が日本から来られた時にこちらのチーズ工場内で通訳を務めました。それがとても大変で辛かったのが忘れられません。暗記しなければならない専門用語がかなりあり、難しい内容の訳出を全員に待たれるのがプレッシャーでした(苦笑)通訳と翻訳はLearning by doing(実践による学習)で身に着け、今でも続けています。
―就職したドイツ企業も通訳関係ですか?
ちょっと違います。医薬品や医療器機の取り扱い説明書に関してのコンサルティングを行っている会社でした。会議やワークショップでの通訳は業務の一部でしたが、私の仕事はそのドイツ企業内で日本のクライアントとのやりとりに関する全てをマネージングすることでした。コミュニケーション、オーガニゼーション、コーディネーションの3本柱が業務の中心でした。
―その会社がウルムにあったから引っ越しを決意されたのですね。ウルムでの生活はいかがでしたか?
ウルムでは長年住んでいたノルトラインヴェストファーレン州とは全く違うメンタリティーを持つ人が多く、最初はびっくりしました(笑)その人達はどちらかというと保守的で、フランクフルトより北をひっくるめて「北ドイツ」と呼ぶことが衝撃的でしたね!私にとってフランクフルトはドイツの大体真ん中にある都市なのに。ウルム出身のアーティストたちは小さい町で閉塞感を感じている様子だったし、ウルムから出たいと言う声を何度も聞きました。でもなんだかんだ言って、ウルムからどこかへ引っ越す人はなかなかいないようでしたよ。
―ウルムからデュッセルドルフに戻ったいきさつは?
2011年の秋にデュッセルドルフに戻ったきっかけはデュッセルドルフにあるダンスカンパニーからマネージメントのお仕事をいただいたからです。ダンスやシアター、アート関係者とは学生時代から付き合いが多かったです。
―それでアートやダンス関係の「コミュニケーター」になったのですね。「コミュニケーター」はどのようなお仕事をなさるのですか?
これは難しい質問ですね。「コミュニケーター」という職業は実際にあるわけではなく、私がしていることに名前を付けるとしたらコミュニケーターかな、と思い勝手に付けたようなものなので(笑)私自身がどんなことをしているのかというと、依頼主や依頼内容によって変わるのですが、基本的にコミュニケーションのお手伝いをすることが仕事の核になっています。例えば、ダンスやシアターなどのフェスティバルやプロジェクトの運営アシスタント、アーティストとの連絡や上演までのサポート、ギャラリーのオープニングパーティーのお手伝い、見本市での通訳。広くいえば、人と人の間に入り、人々を繋げることをしています。
―コミュニケーターとして実行した過去のイベントは?
まだウルムに住んでいた頃、オフスペース・アートエキシヴィジョンと東日本大震災のチャリティーイベントを開催したことがあります。たくさんのアーティストに声をかけ、作品のオークション等を行いました。両イベント共にメディアに大きく取り上げていただき、成果を生み出すことができたので嬉しかったです。とてもやりがいがあるお仕事でした。
―そしてデュッセルドルフで幕を開いたイベントは日本デーの前夜に行われたNippon Performance Nightですね。このアイディアはどう生まれたのでしょうか?
これはFFT Düsseldorfというシアターが観客から選んだキュレーターに5月のプログラムの選考を任せるというプロジェクトで、5人のキュレーターのうちの1人としてこのイベントのキュレーションをさせていただくことになったのです。私がキュレーターを務めるなら、是非日本人アーティストに出演していただいて、ドイツ人だけでなく日本人の観客にとっても魅力的なイベントにしたいと考えました。というのも、私はよくダンス公演や演劇を観に行くのですが、日本人が大勢住んでいるデュッセルドルフでも観客席で日本人を見かけることは殆どなく、残念だといつも思っていたのです。
演劇の場合は言葉の壁があると観賞しても楽しめないことはあると思うけれど、興味深いダンス作品やイベントがあっても日本語での情報がない限り、知らずに見逃している人が多い気がします。それで今回のNippon Performance Nightでは日本語での宣伝にも力を入れました。
―デュッセルドルフは初めてドイツで暮らす日本人にとって親しみやすく、ドイツ語があまりできなくても住みやすい都市だと感じますか?
そうだと思います。日本人があちこちいて、日本語で済ませようと思えばいろいろなことが事足りるので生活には慣れやすいでしょう。ただ日本人に囲まれている分、ドイツ語を学びたい人にとってはなかなか上達が難しい場所だと思います。そして、日本的なしがらみのようなものも少なからずあるかもしれませんね。
―岡本さんがデュッセルドルフで好きな場所は?
ライン川。海沿いの街で育ったからか、たくさんの水がある場所が一番落ち着くみたいです。ライン川には自転車でちゃちゃっとよく行っています。日向ぼっこをしたり、夕焼けを観に行ったり、夏は友達とビールを飲んだり、凧揚げをしたり。それから、デュッセル郊外のカイザースヴェルトは自然がいっぱいで大好きです。ドイツに来て最初に住んだ地区なので、懐かしさに包まれることもあります。Tanzhaus nrw、FFT、 Schauspielhaus等といったシアターにはよく通っています。
―岡本さんは本帰国する予定は全くないほど、ドイツに染まっていますよね(笑)ドイツ人のどのようなところが好きですか?
ドイツ人にはわりと素朴な人が多いと思います。いいかげんな人ももちろんいますが、全体的に誠実で信頼しやすいというか。感じがいいけれど口ばっかりで表裏がある人は少ないですね。気が合えば、長い間友情を育めます。あと日本と異なり本音と建て前の文化がないので、私にとっては付き合いやすいです。
―最後にこれからドイツへ行こうとしている人に一言お願いします。
ドイツではどこの都市に住むかでずいぶん生活が変わります。自分の目的に合わせた都市選びをすることが大切だと思います。
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*映画・テレビ学。ドイツ語ではFilm- und Fernsehwissenschaft。現在はメディア学(Medienwissenschaft)に改名。
クレジットカードは海外旅行には欠かせないもの。現地通貨を十分用意していたとしても、念のために持っていた方が安心します。ドイツ旅行に関していえば、ドイツはクレジットカード社会ではありません。